那覇家庭裁判所コザ支部 昭和50年(家イ)210号 審判 1976年2月06日
本籍 沖縄県島尻郡 住所 米国カリフォルニア州
申立人 新里福子(仮名)
国籍 米国カンサス州 住所 沖縄県北中城村
相手方 ビリー・ホーソン(仮名)
主文
1 申立人は相手方と離婚する。
2 当事者間の未成年者の子の親権者を次のように定める。
長男ジャック・ケージ及び二男メザニエル・アンドレについては相手方に、三男カール・ホーソンについては申立人とする。
理由
本件記録にあらわれた一切の資料及び当裁判所の調査の結果によると、申立人と相手方は離婚することにすでに協議が整つているが、本件昭和五〇年一二月一七日の調停期日には申立人代理人比嘉正憲並びに相手方本人が出頭した。申立本人は肩書地米国に居住している事情から出頭できず、そのため本件調停は成立するに至らなかつた。しかし本件当事者双方の意向及び本件申立にあらわれた一切の事情によると、裁判所は本件を調停不成立のままで終了させることなく当事者双方の離婚の意向を尊重しその希望に添い当事者のため衡平に考慮し、その事情を斟酌したうえ、家事審判法二四条に則り調停にかわる審判で本件の解決をはかるのが相当であると認める。即ち、
一 申立人は肩書地に本籍を有する日本人であり、相手方は肩書地に居住し沖縄駐留のキャンプ・パトラーズ海兵隊基地に勤務する米国軍人でアメリカ合衆国カンサス州に法定住所を有するものである。右両名は昭和三七年七月三日那覇市において婚姻し、以来沖縄本島内において結婚生活を営み、夫婦の間に男子三名の子をもうけた。当事者夫婦は昭和四七年頃から性格の相違から些細なことで口論、葛藤が絶えず、特に申立人が婦人病を患つてからは日一日と夫婦仲は悪化を辿り、更に昭和四九年三月頃申立人が病気治療を兼ねて渡米後は、相手方は申立人に対する生活扶助の義務を怠り、ほとんど遺棄の有様であつた。そこで同年一一月頃当事者双方間に離婚並びに未成年者の子の親権者のことについて合意が整い爾来事実上離婚の状態となつた。なお、本件当事者双方はいずれも当裁判所において積極的に離婚の解決することを望んでいるなどの事情が認められる。
二 そこで本件裁判管轄権の点について考えるに、申立人が日本国籍を有する本件離婚については日本の裁判所に国際的裁判管轄権を有すると解し、相手方は米国軍人ではあるが、当裁判所に土地管轄を有する北中城村内に一四年余にわたり居住している前記認定の事実に徴しその国内的裁判権は当裁判所に属するものと解する。
三 次に本件離婚の準拠法については法例一六条に則り相手方の本国法たるカンサス州法であるところ、前記認定の本件夫婦の実情は、同州法に規定する「一年間の遺棄」、「極度の虐待」などの離婚原因に該当し更に日本民法七七〇条一項五号の「婚姻を継続し難い事由」の離婚原因にも該当すると判断される。次に離婚当事者間の未成年である子の親権者を定めるについては法例二〇条に則り相手方のカンサス州法の規定に従い、前認の事情より判断し長男ジャック・ケージ、次男ナザニエル・アンドレについては父たる相手方を、三男カール・ホーソンについては母たる申立人を夫々親権者と定めるを相当とする。
よつて申立人の本件申立はこれを認容するのが相当であると思料する。よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 片岡禅教)